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山形地方裁判所酒田支部 平成4年(ワ)24号 判決 1994年7月28日

主文

一  被告は、原告阿部米子に対し金二六四万円、原告菅京子に対し金一三二万円、原告阿部利昭に対し金一五九万円及び右各金員に対する平成四年一月二六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを八分し、その七を原告らの負担とし、その一を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  原告らの請求

1  被告は、原告阿部米子に対して二一五一万二四五七円、原告菅京子に対し一〇七五万六二二八円、原告阿部利昭に対し一一九五万六二二八円及び右金員に対する平成四年一月二六日から完済に至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

第二  事案の概要

一  (事案の概要)

本件は、被告酒田市が管理する排水路に転落して凍死した亡阿部利男(以下「亡利男」という。)の共同相続人である原告らが、被告酒田市に対し、右転落事故は被告の設置管理にかかる排水路に瑕疵があつたから発生したものであるとして、国家賠償法二条一項に基づき、損害賠償を求めている事案であるが、その中心的争点は、(一)事故態様(亡利男が自転車に乗車中に転倒して道路脇の本件排水路へ転落したのか[原告ら主張]、自転車から降りて立小便中に誤つて本件排水路へ転落したのか[被告主張])、(二)被告が管理する本件排水路の設置管理の瑕疵の有無、(四)損害額の算定、(五)過失相殺の可否と過失割合などである。

二  争いのない事実

1  亡阿部利男の本件排水路での凍死

亡阿部利男(昭和六年九月一四日生、以下「亡利男」という。)は、平成四年一月二六日午後九時ころ、別紙の事件現場平面図(1)、事件現場平面図(3)及び現場見取図に記載のとおり、酒田市大字家岸地内出羽大橋下流約八〇〇メートル先の京田川側の堤防と宮野浦市街地側の堤防をつなぐ道路(以下「本件道路」という。)が宮野浦都市排水路(以下「本件排水路」という。)と交差している橋状の本件排水路蓋部分(以下「本件橋状蓋部分」という。)付近から本件排水路へ転落し、凍死していた(当事者間に争いがない。以下「本件転落事故」という。)。

2  本件排水路の管理者

本件排水路(実際に排水が流れている水路部分及びその両脇各二メートルの範囲内の排水路敷部分も含む。)は、被告が管理する営造物である。

3  原告らによる亡利男の相続

原告阿部米子は亡利男の妻として二分の一の割合で、原告菅京子と原告阿部利昭は亡利男の子として各四分の一の割合で、亡利男を法定相続した。

三  (原告らの主張)

1  事故態様(自転車乗車中の転落)

亡利男は、本件道路を京田川側から宮野浦市街地(自宅)側へ向けて自転車に乗つて通行している最中に、誤つて本件橋状蓋部分を外れて本件排水路に転落し、凍死した。

2  本件橋状蓋部分の管理者

本件橋状蓋部分の管理者は、被告である。

3  営造物の設置管理に関する被告の責任

本件橋状蓋部分の付近には照明施設もなく、転落防止の柵などもない。したがつて、夜間に自転車で本件転落事故現場付近を通行すると、照明のない状況で斜めに下つて速度が増し、直角に近く右に曲がつて本件排水路にかかる本件橋状蓋部分を渡ることになり、本件橋状蓋部分を外れて本件排水路に転落する危険が大きい。付近住民も転落事故発生を憂慮していたし、付近にある他の排水路には前々から転落防止のガードレールが設置されており、本件事故現場でも本件事故の発生後に被告によつて直ちにガードレールが設置されている。

しかも、本件排水路の橋状蓋部分を除く無蓋部分の壁面は垂直で、足掛かりになるようなものは何もないので、一旦排水路に転落すると上に昇ることは極めて困難である。

このような本件事故現場の状況に照らせば、本件排水路及び本件橋状蓋部分を管理している被告としては、本件橋状蓋部分を通行する利用者が誤つて本件排水路に転落しないように本件橋状蓋部分及びその付近に転落防止施設を設けるなどの安全対策を講ずるべきであつた。

しかるに、被告は、何らそのような安全措置をとらず、その危険をそのまま放置してその設置管理義務を怠つたものであつて、本件橋状蓋部分を含む本件排水路の設置又は管理について瑕疵があつたというべきであり、この瑕疵によつて本件転落事故が発生した。

4  損害

(一) 亡利男の死亡による逸失利益

一六〇二万四九一四円

四二六万八八〇〇円(賃金センサス平成四年第一巻第一表男子労働者学歴計の六〇歳から六四歳までの平均年収額)×〇・七(生活費控除三割)×五・八七四三(六七歳まで七年間稼動可能としてのホフマン係数)=一七五五万三三四八円

なお亡利男には飲酒して自転車に乗るなどの過失があるので、逸失利益分について一五二万八四三四円を過失相殺する。

(二) 原告らによる相続

原告阿部米子は亡利男の妻として二分の一の相続割合で、原告菅京子と原告阿部利昭は亡利男の子として各四分の一の相続割合で、亡利男を相続した。

(三) 葬儀費用

原告阿部利昭は、長男として亡利男の葬儀を主宰し、一二〇万円を支出した。

(四) 慰謝料

慰謝料は、原告阿部米子について一二〇〇万円、原告菅京子と原告阿部利昭は各六〇〇万円が相当である。

(五) 弁護士費用

原告らは、原告ら代理人に本件訴訟を委任し、原告阿部米子は一五〇万円、原告菅京子と原告阿部利昭は各七五万円の報酬を支払うことを約した。

よつて、原告らは、被告に対し、国家賠償法二条一項に基づき、前記第一「原告らの請求」記載のとおりの損害賠償金の各支払を求める。

二  (被告の主張)

1  事故態様(自転車降車後の立小便時の転落)

亡利男は、本件道路を自転車で通行中に転落したものではなく、自転車を一旦停めて降車し、本件橋状蓋部分から立小便をしているときに誤つて本件排水路に転落したものと推定される。その根拠は、<1>本件橋状蓋部分の交通の邪魔になるような場所に亡利男の自転車が立つたままの状態で置かれていたと認められること、<2>亡利男の身体には、自転車に乗車したまま勢い余つて本件排水路に転落したとしたならば当然生じたであろう打撲傷の外傷が認められないこと、<3>亡利男が事故当時飲酒酩酊していたこと、<4>亡利男のズボンの前が陰部直下まで下がつていたこと、<5>亡利男は脳梗塞による後遺症として右上下肢に機能障害を持つていたこと、<6>本件道路が下り坂のまま急激に右折するため自転車の速度が増して勢い余つて本件排水路に転落したというのならば道路左側の本件排水路に転落するのが自然と思われるが、亡利男は進路右側の排水路に転落していたこと、<6>亡利男と疑われる男性が本件事故現場付近の堤防に座つていたり、自転車を引いて歩いていたという情報が警察官に寄せられていたこと、<7>自転車の前篭の左側が若干歪んでいるが、それが原告主張のとおり本件転落場所の前付近で自転車が倒れたから生じたのだとすると、自転車は左側に倒れたことになり、それとは逆に被告人の身体だけが右側の本件排水路に転落したというのは不自然であることなどである。

2  本件道路及び橋状蓋部分の管理者

本件橋状蓋部分は、被告の管理している営造物ではない。

3  営造物の設置に関する管理責任

(一) 本件道路は、京田川側の堤防から下り坂部分でも急勾配ではなく、道路幅員も約五・三メートルと広く、しかもアスファルト舗装になつているので砂利道のように横すべりして自転車のハンドルを取られて走行の安定を失うなどの危険性もなく、本件橋状蓋部分に向けて右に屈曲する部分でも緩やかな曲線状になつているので、この道路状態からすると、歩行者が通行するにつれて危険性はなく、自転車に乗車して普通に通行する場合や、その他車両が通行する場合に適切な制動操作をして適宜速度を調整すれば、本件道路や本件橋状蓋部分から逸脱する危険性は全くない。また、本件橋状蓋の付近に視界を妨げるような物も存在せず、見通しは良好である。

(二) 本件橋状蓋部分も本件道路をつなぐ橋として利用されているが、京田川側のアスファルト道路の幅員が約五・三三メートルであるのに対し、本件橋状蓋部分の幅が約七・九二メートルであり、道路南側端で約一・四七メートル、道路北側端で約一・一二メートル、それぞれ橋状の本件橋状蓋部分の方が本件道路幅よりも広くなつている。本件橋状蓋部分を渡つた先においても、アスファルト舗装部分の幅員が約三・一メートルであるのに対し、本件橋状蓋部分の幅は約七・九二メートルであり、道路南側端で約二・二九メートル、道路北側端で約二・一五三メートル、それぞれ本件橋状蓋部分の方が本件道路幅よりも広くなつている。したがつて、歩行者も車両も通常の通行方法によつて本件道路を通行して本件橋状蓋に至つたときには、そのままの通行方法によつて渡りさえすれば、道路よりも広い本件橋状蓋部分の端から本件排水路に転落する危険性は全くない。

(三) 本件道路は、通行に利用する者が一定の地区に限定されている傾向にあり、人や車両の交通量が少なく、特に夜間は交通量が少なく、歩行者はほとんどなく、車両の通行も僅かである。そして、一般に自動車や自転車には前照灯の設備があり、実際に本件においても、亡利男の自転車には前照灯の設備があつた。

以上のような(一)道路状況、(二)本件橋状蓋部分の幅の広さ、(三)限定された利用者による少ない交通量などの諸事情を考慮すれば、本件橋状蓋部分は、ガードレールや照明設備がなくとも、通常有すべき安全性に欠けるところはなく、営造物の設置管理に瑕疵はなく、転落事故との間に因果関係もない。

本件事故は、亡利男が酒の酔いのため又は脳梗塞の後遺症による右上下肢の機能障害の影響も加わつたため、本件橋状蓋部分の端に寄つて立小便をしようとした際に誤つて転落したか、又は自転車に乗車したまま誤つて路外にはみ出すという異常な運転をしたかなどという通常の利用方法とは異なる行動をとつたために発生したものであつて、被告にはこのような異常な行動までをも予測して転落防止措置や照明設備を設ける義務はない。

4  過失相殺

仮に橋状蓋部分又は排水路の設置管理に瑕疵があり、被告に損害賠償義務があるとしても、前項のとおり、被告の異常な行動が大きな原因であるから、賠償額について九割程度の過失相殺をすべきである。

第三  争点に対する判断

一  本件転落事故現場付近の状況

1  本件橋状蓋部分の状況

本件排水路と本件道路の交差部分には、幅七・九二メートル、長さ二・二五メートルのコンクリート製の本件橋状蓋部分が架けられており、本件排水路上に架けられた橋として一般の通行の用に供されている。本件道路から本件橋状蓋部分への見通しは、視界を妨げるものがないので昼間は良好であるが、夜間は照明設備がなく、近くに民家もないために、その見通しは当然に悪いであろうと推測される。

2  本件排水路の状況

別紙事件現場平面図(3)のとおり、本件排水路のうち、本件橋状蓋部分より南側(上流)部分は、水路幅約一・七メートル、深さ約一・二メートルであり、亡利男が転落した北側部分(下流部分)は、水路幅約一・八四メートル、深さ一・九五メートルであつて、鈎形に屈折した部分よりさらに先(北側)は、水路幅約一・九メートル、深さ約一・四五メートルである。そして、事故当時の水深は、別紙現場見取図のとおり、鈎形の屈折する部分の水深が約五五センチメートルであり、同所には排水路の上の脇の草地から水路に伸びていた細い木の枝が折られた跡があり、その下には亡利男の右の長靴が浮かんでいたので、同人が木の枝をつかんでよじ登ろうとして失敗し、底のヘドロに足を取られて右の長靴が脱げてしまつたものと推測される。また、鈎形の屈折部分の先は水深五センチメートルと浅かつた。しかし、本件排水路の無蓋部分の壁面は垂直で、足掛かりになるようなものはなく、深さ約一・九五メートルであつて、水路底より排水路敷がかなり高いので、一旦排水路に転落すると上に昇ることは極めて困難である。

3  本件道路の勾配と曲がりの状況

京田川側の堤防から本件橋状蓋部分までの本件道路は、幅約五・三メートル、長さ約三九・一五メートルのアスファルト舗装された下り坂になつているが、その下り勾配は、別紙縦断図記載のとおり、最初はややきついが、一一メートル程下がつた地点から勾配が緩くなり、本件橋状蓋部分の手前付近ではほとんど平地になつている。また、別紙縦断図記載のとおり、京田川側の堤防からの入り口より約二三メートル下つた付近から本件橋状蓋部分までの間で、かなり急な曲線を描いて右に屈曲しながら本件橋状蓋部分に至り、さらに、そこを過ぎるとすぐ左にほぼ直角に近く屈曲しながら、ややきつい上り坂になつている。

4  本件橋状蓋部分が本件道路の幅より広く架けられている状況

京田川側のアスファルト道路の幅員が約五・三三メートルであるのに対し、本件橋状蓋部分の幅が約七・九二メートルであり、道路南側端で約一・四七メートル、道路北側端で約一・一二メートル、それぞれ本件端状蓋部分の方が本件道路幅よりも広くなつている。本件橋状蓋部分を渡つた先の道路においても、アスファルト舗装部分の幅員が約三・一メートルであるに対し、本件橋状蓋部分の幅は約七・九二メートルであり、道路南側端で約二・二九メートル、道路北側端で約二・五三メートル、それぞれ本件橋状蓋部分の方が本件道路幅よりも広くなつている。

5  本件道路の利用状況

本件道路を利用する人は、宮野浦地区の一部の住民であり、被告側が平成四年一〇月一三日に調査したところによれば、午後六時から午後八時までの間に自転車一二台、バイク一台、軽貨物自動車一〇台、軽乗用車一台、小型乗用車六台、小型貨物車四台の合計三四台の通行があり、歩行者はなく、午後八時以降は自動車等合計一一台が通行するだけで、極端に交通量が低下している。しかし、これは照明設備がないこともあつて夜間には交通量が徐々に少なくなつているものと推測されるのであつて、付近の居住者数や道路状態からみて、昼間や夕方午後五時から午後六時までの帰宅時間の交通量は夜間のそれをかなり上回る利用があるものと推測される。

二  事故態様

被告は、亡利男が本件橋状蓋部分の北端で立小便等をし、誤つて本件排水路に転落して凍死した旨主張するが(検視調書における警察官の判断も同旨であるが)、当裁判所は、次の各理由により、亡利男は、本件道路を京田川側から自宅のある宮野浦市街地側へ向けて自転車で通行中に誤つてアスファルト舗装部分から右側に外れ、本件排水路手前で自転車もろとも転倒し、亡利男だけが勢い余つて本件排水路に転落したものであつて、その後本件排水路からよじ昇ろうとしたが、壁面が垂直で高かつたため昇ることができず、ヘドロ等に足を取られて倒れ、そのまま凍死したものと推認するのが相当であるものと考える。

(理由)

<1>自転車の転倒位置と汚損状況

本件道路に残された自転車は、第一発見者の土田末吉が翌朝二七日午前七時一八分ころに見た際には、京田川側から見れば本件橋状蓋部分の右側手前のアスファルト道路と右脇の草地の間に左側を下にして倒れた状態であつた(なお、土田末吉は、法廷で証言する前には、原告阿部利昭に対し、これと同旨の説明をして現場写真に自転車が倒れた位置を書き込んでいることが認められるのであつて、これに反する土田証言は採用できない。)。また、その自転車の前篭部分は左前側の黒い塗料が取れて若干つぶれ、右のハンドルの握り部分には、泥がついていた。これらの事実は、亡利男が自転車に乗車中に本件排水路手前で転倒したことを強く窺わせる。被告の主張するように亡利男が立小便をする際に誤つて転落したとすると、なぜに自転車の前篭がつぶれ、右のハンドルに泥がついていたのか説明が困難である。

<2>亡利男の遺体に残された擦過傷の状況

亡利男の右手背部の小指側部分約五センチメートルの範囲と、中指と薬指の第二関節外側約一・五センチメートルの範囲に新しい擦過傷があつた。また、左手中指の第一関節外側部分と、左手首内側部分にも新しい小さな擦過傷が残つていた。さらに、前下腿部にも擦過傷が認められた(乙一の二「検視時の死体状況」欄)。これらの擦過傷は、自転車のハンドルを握つたままの状態で転倒して本件排水路に転がり落ちる際にできたものと考えられる。

なお、被告は「自転車で進行中に勢いがついたまま本件排水路に高所から転落したとすれば、打撲傷の外傷ができるはずであるのに、本件ではそれがないから、自転車進行中の転落ではない。」旨主張するが、道路脇は草地であるし、本件排水路には浅く水が溜つており、底はヘドロだつたというのであるから、転がり落ちた場合に本件程度の擦過傷にとどまることは、充分にありうるものというべきである。また、亡利男が自転車に乗車中に転落したのであれば、たしかに、事故調査を担当した最上警察官が指摘するとおり、自転車も一緒に本件排水路に転落するのが自然であろうと思われるが、本件排水路の手前で自転車と一緒に転倒したとすると、勢いのついている被害者だけが前方の本件排水路に転がり落ち、倒れた本件自転車は地面との摩擦によつて前方には進まずに本件道路上に取り残されたということも充分に考えられ、その点も、必ずしも前記認定の妨げになるものではない。また、自転車の前篭の左側がつぶれているのに被害者の体が逆の右側の排水路に転落している点についても、たしかに通常では生じにくいかもしれないが、自転車と人が複雑な転倒の仕方をした可能性が充分にあるから、ありえないこととは言い難く、その点は必ずしも前記認定の妨げにはならない。むしろ、被告主張の立小便説によれば、なぜに前記のような多数の擦過傷が前記の部位にできるのか説明し難いものと考える。

<3>亡利男のズボンの状態について

事故直後に検視調書を作成した最上警察官は、「亡利男の履いていたズボンが陰部直下まで下がつていたことなどからも、立小便中に誤つて転落死亡したものと判断して検視調書を作成した。」旨証言しているが、検視時の亡利男のズボンの前は、臍よりも僅かに下がつている程度であつて、陰部直下まで下がつてはいなかつたと認められるし、本件排水路から引き揚げられる前の亡利男の状態を写した写真を見ても、それ程ズボンの前が下がつているものとは窺われない。仮に最上証言のとおり陰部直下まで下がつていたとしても、そのズボンは、外見から見る限り、ベルトもなく胴回りをゴムで止めるような比較的に緩い胴回りの作業着であることからすると、うつぶせになつていた亡利男の遺体を本件排水路から引き揚げる際に、下になつていたズボンの前の部分に水がよく滲み込んで重くなり、又はズボン内に水が溜つて重く垂れるなどしてズボンがずり下がつた可能性も否定できないから、ズボンの前部分が下がつていた事実をもつて直ちに亡利男が生前に立小便をしていたものと即断するのは相当ではないものと考える。

また、自宅まであと僅かの場所であり、かつ、下り坂で自転車のスピードが出る場所であるにもかかわらず、本件橋状蓋部分付近において、冬季の夜間にわざわざ自転車を止めて排水路に立小便をするというのもやや不自然であつて、その点からも立小便をしていたという被告の主張は採用できない。

三  本件橋状蓋部分の管理者

本件橋状蓋部分は、本件排水路の蓋であつて本件排水路と一体となつているから、これも被告の管理する営造物と認めるべきである。

四  本件排水路の設置管理の瑕疵

前記一項「本件転落事故現場付近の状況」認定のとおり、京田川側の堤防から本件橋状蓋部分を通る本件道路は別紙事件現場平面図(1)のとおり本件橋状蓋部分の前後で右と左に屈曲し、本件橋状蓋部分までは最初はきつく途中からは緩やかな下り坂になつて本件橋状蓋部分の手前で急に右へ屈曲しており、本件橋状蓋部分を渡るとすぐに直角に近く左に屈曲しながら今度はややきつい上り坂になつているという特異な変形道路であつて、京田川側の堤防から本件橋状蓋部分付近への夜間の見通しは、近くに民家もなく照明設備もないので当然に悪い。したがつて、自転車などは下り坂で勢いがつくと途中で路外に逸脱し易く、特に夜間で見通しの悪いときには、本件橋状蓋部分を外れて両脇の本件排水路に転落する危険のあることが充分に予想される。しかも、一旦転落してしまうと、本件排水路は深さ一・九五メートルと排水路底からは高く、コンクリート壁面が垂直であるため大人でも這い上がるのは困難だというのであるから、その水深が浅いところで約五センチメートル、深いところで約五五センチメートル程度であつても、冬期間に排水路内に長時間取り残されれば、凍死する危険性が充分にある。そして、本件道路の利用者がほぼ限定されているとはいえ、不特定多数の人が通行可能な状態にあり、本件事故後の調査でも午後六時から午後八時までの間に自転車が一二台、その他自動車等二二台の合計三四台が通行しており、相応の交通量がある。したがつて、これらの諸事情を総合すれば、本件橋状蓋部分が前後のアスファルト道路よりも広くなつているだけでは足りず、本件橋状蓋部分及びその直近の本件排水路敷の道路部分には、夜間の通行者が誤つて転落しないように転落防止柵をもうけたり、照明設備をもうけるなどの事故防止施設を設けるべきであつて、そのような施設のない本件橋状蓋部分や本件排水路敷の道路部分を含む本件排水路は、営造物が通常有すべき安全性を欠いているものと言うべきであり、その設置管理には瑕疵があつたと認めるのが相当である。

五  損害

1  亡利男の死亡による逸失利益

亡利男は昭和六年九月一四日生まれで、本件転落事故当時にはすでに六〇歳であつたこと、亡利男は昭和五七年一月に脳梗塞となつた結果、関節は正常範囲であつたが右手指の巧緻性障害があり、歩行能力は二〇〇メートル位、右手握力が一〇、左手握力が二〇であり、軽度の言語障害も認められたため、昭和五八年九月二八日付けで右上下肢機能障害によつて身体障害者福祉法別表第五の第五級に認定され、身体障害者手帳を交付されていたこと、亡利男は脳梗塞になつて以来定職に就いておらず、一時内職をやつたのち、息子である原告阿部利昭の建築業(大工)の手伝いをする程度であつて、原告阿部利昭自身も年収一〇〇万円にもならず、亡利男にも給料を払つていなかつたことを考えると、亡利男はすでに稼動能力の相当部分を脳梗塞の後遺症によつて喪失し、稼動意欲を無くし、就労の蓋然性はなかつたものと認めるのが相当である。したがつて、本件においては、逸失利益を認めないのが相当である(亡利男が家業の手伝いをしていたなどの事情は後記の慰謝料額の算定において斟酌する。)。

2  葬儀費用

原告阿部利昭は、長男として亡利男の葬儀を主宰し、最低一二〇万円を支出しており、一二〇万円を葬儀費用として相当な損害額と認める。

3  慰謝料

本件における諸事情を考慮すると、慰謝料は、原告阿部米子について一二〇〇万円、原告菅京子と原告阿部利昭について各六〇〇万円が相当である。

六  過失相殺

本件においても、亡利男は、本件転落事故現場が自宅近くの通り慣れた場所であつて、本件道路の特異な地形や本件橋状蓋部分や本件排水路の存在を充分に知つていたであろうから、夜間には自転車の速度を適宜減速するなどして適切に運転すべきであつたにもかかわらず、自らの不注意のほか、酒に酔つていたことや、或は脳梗塞による右上下肢の機能障害の影響も加わつて異常な運転をして本件橋状蓋部分手前で転倒し、本件排水路に転がり落ちたものであるから、過失があるというべきであり、その過失割合は八割と認めるのが相当である。

したがつて、原告らの損害は、次のとおりである。

原告阿部米子 一二〇〇万円×(一-〇・八)=二四〇万円

原告菅京子 六〇〇万円×(一-〇・八)=一二〇万円

原告阿部利昭 七二〇万円×(一-〇・八)=一四四万円

七  弁護士費用

本件における弁護士費用は、原告阿部米子について二四万円、原告菅京子について一二万円、原告阿部利昭について一五万円が相当である。

八  結論

以上によれば、原告らの請求は、原告阿部米子について二六四万円、原告菅京子について一三二万円、原告阿部利昭について一五九万円と各金員に対する本件転落事故の日である平成四年一月二六日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

よつて、主文のとおり、判決する。

(裁判官 齊木教朗)

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